top of page

──こんこん 3匹目

↓こんこん3匹目_フライヤー
表_プリントパック.jpg
裏_プリントパック (2).jpg
日程▸2024年4月3~4日     場所▸JOY JOY シアター
ファシリテーター▸宮田慎加(しばいぬ)、関森あいら(めぇめぇ)、

            大井彩花(かぁかぁ)、白濵凪沙(こんこん)
制作▸山本三ツ希(ぽち)        舞台監督▸松本ひなた(わんわん)
音響▸渡邊詩乃(うぱ)         照明▸忠津リンディ(にゃーにゃー)


内容▸観客参加型公演を開催。言葉でのコミュニケーションにプラスする、置き換える、合図する。言葉にできない思いもさりげなく伝わるようになればいいな。言葉自体が美しいのにわざわざ身体で表現する意味って何だろう。
 
 会場は JOYJOY シアターという地下にある劇場を選んだ。ほらあなという団体名に合わせ、ひっそりと存在しほらあなに入っていく感覚を楽しんでもらいたいという狙いがある。また、囲み客席にしたかったため、広く舞台の仕切りがない場所を選んだ。
 
 終演後には 30 分の「おはなし会」を開催。感想交換会のようなものだ。私はよく 1 人で観劇しに行くのだが、誰とも感想を共有できないのがさみしいし、アンケートに質問を書いてもレスポンスがあるわけではない。リアルタイム共有をしてみたいと思い企画した。
​ 
​  匿名性やワークを進めやすくするために、当日呼んでほしい名前を予約時に教えてもらった。ほらあなのメンバーはこんこんやめぇめぇなど、動物の鳴き声を名前にすることで作品の世界観を保ちつつ匿名性を感じられるようにした。普段の生活では年上の人をあだ名で呼んだり、タメ口で話すことは難しい。あだ名を希望する人には「さん」や「ちゃん」をつけることを禁止することで、全員が対 等な立場で意見を言いやすい環境を作る。これは同じ学年のクラス内でも役立つ案だと考える。4 月の距離感があるときは苗字やちゃんをつけて呼ぶ空気がある。私もあだ名で呼んでいいのかななど、人見知り界隈にとってはそのちゃんを外すタイミングや疎外感も不安材料になっているのではないかと感じる。最初からフレンドリーな呼び名を指定してくれた方が過ごしやすくなるのではないか。予約フォームの段階で集計しておき、首から下げる名札ケースを事前に用意し、その中に指人形を用意した。今回新たにきつねが 0 人だった場合の解決策として犬の指人形も用意し、誰もいなかったら話しかけてもいいですよという選択肢を増やした。



テキスト回
▸嬉しい感情、悲しい感情、それぞれ 3 段階のハンドサインを作るというワークショップを行う。具体的なシチュエーションからそのレベルにあった動きを考えていく。私は辛い時ほど言葉が出てこなくなる。不登校になって病院に連れていかれたときも一言も発することができなかった。初めてあった人ばかりのグループとかも相槌しかできない。誰かに相談する、される場面において、言葉で何が辛いのか話すことも解決の糸口に繋がるが、ただただ苦しいんだという気持ちを 3 段階の動きだけでサインを出すことだけでも、心が安らぐきっかけになると思う。なにが嫌なのか言葉にできなくって、分からないことが辛かったりするが、理由はそれだけで十分ではないか。もちろん周りの人が心 配してくれているということも理解している。私の親は私が不登校になったことによって、私以上に躍起になって苦しんでいたように思う。考えていく過程で、ある意味このハンドサインは私側のためではなく、私みたいな人と関わらなければならない人たちのための救済だと感じた。無理に言葉にしなくても伝わる関係、コミュニティを作っていきたい。


総まとめ回
▸ダンス公演に近い形式で行う。電話、指人形、糸電話、自己紹介、名前覚えゲーム、小作品などを行った。

電話──言葉でしか伝えられない。今どんな顔して、何を想像しているだろう。 電話って大っ嫌い。普段面と向かって話している時ですら相槌を打つタイミングにも緊張して何もせず無言で聞いていることが多いのに、電話になってしまったら相手を zoom 授業の先生にさせてしまう。返事のタイミングをうかがえないからこそ言葉の意味を注意深く考える。物語の最初は言葉のみに注目し、終盤にかけて身体にフォーカスしていく。

ひみつの合図──踊りたいときに踊るし。見たいときは見ている。嬉しくなったり。悲しくなったり。辛くなったり。 指人形、糸電話 電話は嫌いだけど、なぜだか糸電話はわくわくする。私とあなただけのひみつの手段って感じがするから。糸を張ったり、空気を漏らさないようにしたり、はっきりしゃべったり、電話よりももっと大切に伝えようとする。大人数で話す時には逆に安心できる手段なのかもしれない。

涙が涸れる(単語を直訳する動き)──言葉から感じる感覚を動きに可視化する。

涙が涸れる(詩の世界を感じる動き)──戦後、一人で立つ僕、にただ吹き付ける、砂交じりの、風。

涙が涸れる(独白)──「ぼくら」と言いながら結局は自分の意見を、さも全員の意思かのように伝えているに過ぎなかった。

私を見ている私。を見ている私。を見て…──集団で大笑いをしているとき、ふとなぜこんなにも全員が全く同じレベルで笑っているのかと冷静になることがある。

灯台──光の方へ。一人が寄り添って集団なのだと思う。
↓糸電話
image.png
↓おはなし会
image.png
↓ひみつの合図
こんこん3匹目_写真3.jpg
振り返り▸ この企画を身の回りの人に対して実行していくということは、私がどんな思想の人間なのか、そして参加する人もどんな人間なのかお互いに暴き合う、ではないが知られてしまう恐怖のようなものが付きまとってくる。稽古中も知らない部分が暴かれていってしまって、少し冷たい、普段の私たちでは居られなくなってしまったように思う。ハグも手を繋ぐこともしていた人たちなのに、やっぱり内面はこんなに理解できていなかったんだという喪失感のような感覚になってしまった。 また、こういう内容だからか集客が難しかった。やはりワークショップで自分の中身が知られてし まうようなものは抵抗感が強いのだろう。総まとめ回だけに人が集中した理由もそこにあると感じている。もっと傍観して考えられるような空間を作りたい。 1 時間 30 分という短くない上演の後に行ったおはなし会には全員が参加してくださり、驚きととも にちゃんと伝わったんだということが分かってとても嬉しかった。やはり大人数で話すということは難しく、本編は練習を重ね、ある程度段取りを組んでいたため時間通りに進めることができたが、おはなし会は言いたいことがまとまらず私ばかりが話してしまった。しかし、その場で感想を共有することができたため、1 人で見に来ている人もそうだし、知り合い同士の間でも気持ちを共有するきっかけになれたとアンケートを読んで感じられた。終演後、そして普段の生活であった時にも全員の人と話すことができ、また考えが深まっていった。おはなし会では発言できなかったけど、こんなこと考えたよということも 2 人でなら聞かせてくれる人が多かったように感じる。これからの活動ではアンケートではない、もっと素直な気持ちを気軽に表出できるものを作りたい。

 寄り添ったり、何かを言うことって難しいけど、共感できなくても思いをお互いに知ることができれば、もう少し生きやすい世界になるのかな。自分のコミュニティ以外の人と繋がる第一歩となる企画にはなった。
bottom of page