
──ばう べう ぺぐ
↓ばう べう ぺぐ_フライヤー


日程▸2026年1月29日~2月2日 場所▸水性 suisei
メンバー▸青柳潤(メバチ)、江原しおり(ハシビロ子)、杉本賢太朗(ヒト)、長沼佳奈(ぺたぺた)古瀬望(しろ靴下のねこ)、吉田萌乃(きりん)、渡邊詩乃(うぱ)、白濵凪沙(こんこん)
内容▸体験スペースと身体展示。心象可視化。言葉を発することは億劫だけど、コミュニケーションは取りたい。言葉にならない思いを私は手に、あなたは何に思いを託すか。自身が不登校だった経験から、当事者、なにより周りの人々のためのハンドサイン、空間でありたいと 考えている。 発語はNG、笑ったり、単語で会話をしたり、発声はOK。 空間内にはいくつかブースを用意し、来場者が自由に見て作って考えてを選択できる空間にする。自分の気持ちに合う誰かが作った表現、既存の言葉を探すのではなく、ばう べう ぺぐのようにその 人自身の気持ちを見つけられるような体験の場を提供していく。
ブース① 自転車の旅
▸この前Xで「“死にたい”というより“消えたい”なんだよなぁ」という投稿を見た。瞬間、 あぁそうな んだよなと思いコメント欄を開くと、「遠くへ行きたい」という人がいた。ぺーぐ。私のよく分からなかった 浮遊感もこの感覚ならしっくりくるかもしれない。自転車や徒歩で移動するのが好きで2時間漕いだ り、5時間歩いたりする。色々な土地の小さな好きが詰まっている時間。私が知らない誰かの好きな 場所を知ることができたら、なんだか安らげる気がする。


↓疑似自転車の旅
↓お気に入りの場所ボード
振り返り
メンバー1人ずつのお気に入りの場所へ行き、その時の写真や心情をボードにまとめてもらったものを展示した。青柳(メバチ)は稲田堤から登戸にかけての多摩川をハイキング。江原(ハシビロ子)は永福町付近の神社やカフェ街並み。杉本(ヒト)は武蔵新城から羽田空港まで多摩川沿いをサイクリング。長沼(ぺたぺた)は新木場付近の植物園と海、東京ゲートウェイ。古瀬(しろ靴下のねこ)は荻窪の公園でピクニック。吉田(きりん)は西浦和の荒川の土手。今まで知らなかった土地も相手が大切にしているものは大切にしたくなる。過去に行った時の記憶と、交わるはずのなかった人を招くことのくすぐ ったさ、大切な記憶を見せるのは少しだけ緊張して、でも受け入れてもらえると新しいお気に入りの記憶が重なっていく。 吉田が持ってきてくれた吉田のおばあちゃんがつくった布で囲われた空間を作る。この布がとても好評だった。劇場の前澤さんもお気に入りだし、ふらっと入ってきた外国の方にも買えないか聞かれた。とてもかわいい。自分でも編んでみようか迷う。囲った中には自転車とおしゃれ飾りで写真を展示。実際に自転車にまたがり漕ぎながら写真を鑑賞することでその地に行ったような気分を味わうことができる。ハンドルにはA6サイズのノートを括り付け「過去考察」とし、白濵のこの1年自転車(徒歩)で感じた記録をまとめたものを展示。漕いだ人だけが見られる小さな世界。 プリンターを設置し、その場で来場者のお気に入りの場所を印刷し、展示物に加えていった。写真+ワークカードで感情を分析する。どんな場所か、何をしていたか、感情の擬音語を書いてもらった。言葉にできないなんだか 好きを好きで終わらせず、自分だけの好きを言い換えた言葉を探す(←ばう べう ぺぐ)。
ブース② ばう べう ぺぐ辞典
▸返事で「はい」と言うのが苦手。なんか、空気を多く送り出す声を出さなければならないから。だから 「ふぇ」とか「にゃ」とかなら、はっきり声を出さなくていいからちゃんと発声できる。あとは、単純に「は い」が適切な気持ちじゃないような気がする。「うぉん」とか「ぱおん」のほうが意思をそのまま伝えるこ とができているような気がする。あなたのばう べう ぺぐのような感情語録を教えてください。

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↓来場者の制作物_最終日の様子
↓制作スペース
振り返り
ワークカードで感情を分析する。カードは模造紙に貼り付け、展示物にしていく。前回の展示「真空」で感情レベルを行った際、元のお題を同じにしたら書いてくれる人が少なかったため、今回は全部フリーにしてみた。ワークショップではこのカードを使用し嬉しい寄りの感情と、悲しい寄りの感情の2つをお題にした。擬音語と意味を書いてもらった。 父が書いてくれたであろうワークカードの内容が面白くて。見つけて教えてくれたのは母なのだが。父はよく会社から帰ってきたとき「パピューン」と言いながらリビングに入ってくる。うちの家族はまぁまぁみんなおかしいので気に留めることもなく過ごしていたが、ワークシートにパピューンの意味が「帰っててきたあいず」とあった。こんなに一緒に過ごしていても分からないことがあるし、それを知れてなんだか嬉しくて恥ずかしい気持ちになった。他の来場者の方が書いてくれた擬音語もその人の思考にちょっとだけ触れることができて、嬉しくてくすぐったい気持ち。
ブース③ ゆったりスペース
▸ぼーっとしたり、本を読んだり、他の人の様子を眺めたり、机一面に敷かれた紙の上にひとりごと。口に出すほどのことでもない気持ちも誰かが返事をしてくれるかもしれない場所。
↓安心できる場所


↓すごろく
振り返り
畳をどうしようか悩み、 前回は桟敷だったが分厚い畳マットにしてみた。匂いから落ち着く空間、そして自由に形を変えられる場所となった。前回はただの模造紙だったが、今回は自作のすごろくを設置。すごろくのモチーフは自転車の旅で各自が行った場所が集まったタウン。すごろくのマスはメッセージカードに書くことで、遠い人にも近づけて見せることができ、並べ替えも可能。内容は「朝日のハンドサインをつくって」や「心の中で鼻歌を歌って」など無言だからこそ楽しめる内容かつ、気軽にハンドサインを体験できるスペースとなった。来場者も共にイラストやマスを書き最終日にかけて完成させていった。 今回、会場自体の空間が狭かったからか、ほとんどの時間をゆったりスペースで過ごした。それが外から見ると何かが始まっている(すごろくをしている様子などが話し合っている)ように見えて入りにくかったという感想もあった。中に入ってしまえばとてもいい場所だったのだが、誰かが占領しているようになってしまうの違うなと思う。公演のベンチとかもそう。電車と違って誰かの隣には座らない。次にやる時は共存が心地よい空間を目指したい。
ブース④ ひみつの合図 発生
▸展示されている人にあなたが大切にしている感情や情景を教えてください。その場でハンドサインを作り、踊ります。自分の解釈と表現されたものとの違いと身体を楽しむ場所。
↓来場者の制作物_最終日の様子
↓粘土
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振り返り
前回の展示のメインブース。今回はプレ展示の際に折り畳み机の脚を畳んだままにし、正座でやってみたらよかったため、バーカウンターのような配置でやってみた。メリットはまさにバーのように筆談が盛り上がったこと。付箋1つを使い果たし、2個目に入ったため120枚ぐらいはやり取りをした。付箋だ ったため会話の流れはもう分からなくなっているが、付箋だからこそ相手が書いている時にも自分が書けたり、違う人に向けて話題を振ったり、交差する会話と待つことが苦痛ではない会話にすることができた。デメリットは身体展示感が薄くなってしまったこと。前回は6時間ぐらい踊り(動き)続けていたが、今回はゆったりスペースにいることが多かったし、ひみつの合図発生にいても本当に手しか見えないため、踊っているという感覚はなかった。それはそれで踊りという認識から脱却できたと思う。
ブース⑤ かくしべや
▸普段の私を知っている人には話せない、あんなことやこんなこと。聞き手は肯定も否定もしません。ただ水のように。
↓入口


↓中の様子
振り返り
最初やろうと思った理由は、他者とのコミュニケーションをとれるような展示にしたかったから。これまでのほらあなの活動は自分自身を理解し、他者に向けて発信することが目的であった。そこに相手への理解はなくていい。だって理解できるはずがないのだから。だけどもやはり人間として生きていくには相手のことを知らなくてはならないし、知りたいと思ってしまう。見て感じるだけでなく、対面でコミュニケーションをしていくうえで最も重要な会話とは、をやってみたかった。前回の展示で割と感想でもらったおしゃべり好きの人にはしゃべれない空間が苦しいということ。喋ることが救いになっている人もいると知ったから、この部屋を用意してみた。 が、実践したものは構想とはかなり違った部屋となった。こちらからの返事をしない分、ただ吐露をするというか、肯定されているのか不安になりながら自問自答になっていくというような。でも誰にも言えなかった自問自答を聞いてもらったということで少し自分の中の正解を見つけられたような気になるような。今回のパフォーマンスで取り組んだことを来場者も実践できる場となった。 なるべくお互いが知らない相手の方がいいと思ったため、私が入れたのは1回だけだった。入ってくれたメンバーや来場者の方の話を聞くと、やってよかったと思える場所だった。とても緊張して、静かで、とてもとても大切に言葉を紡いでいたし、受け取るという態度を丁寧に過ごしていた空間だった。いのちの電話もこんな感じだと思うんだ。だけど、返答しちゃうからやっぱり理解は得られない拒絶になるのだと。かくしべやでもっと展開していける気がする。
ブース⑥ 手紙ノート
▸この空間から出ていくときの気持ちを書き込むノート。一方的な感想ではなくて、お返事があればいい のになっていつも思うから手紙。
↓手紙ノート
↓手紙ノートの一部


振り返り
空間内でお話しできないからこそ、長いお手紙で伝えてくれる人が多い。これはとっても嬉しい。私が沢山考えて悩んだことを大切に受け取って考えてくれた証だと思う。やり終わってバッドな気持ちになっていたのだけど、なんだかよい空間だったと伝えてくれる人がいたことを思い出せて、少しはっぴーな気持ちが復活する。来てくれて本当にありがとう。 今回、これを置く位置を失敗した。端っこで自分だけしか見えない場所が描いている時心地いいかなと思って設置したが、出口の動線から外れていたためか書かずに出ていく人が多かったように思う。と思ったけど、27個感想が増えていたから40%ぐらいの人が書いてくれた。割と書いてくれているかもしれない。前回が90%ぐらい だったから、やっぱり置く位置が悪かったと思う。あと、前回に比べて展示物に対し観るだけになってしまうものが多かったのも原因だと思う。自転車の旅とばう べう ぺぐ辞典、どちらも手を出しずらかったと思う。
ブース⑦ ゆびにんぎょう
▸口に出して言えないことも指人形がしゃべっていることにしちゃえば、なんだか 伝えられそう。表現できないって苦しい。
↓水性のかわいいライトとゆびにんぎょう
↓約150匹のきつね


振り返り
水性と言えばこの緑色のオブジェ。元がクリーニング屋さんということで、巨大ハンガーのようなもの。 来てくれた人に連れて帰ってもらったのだけど、後日会った時とかふとした時のSNSで飾ってくれているのが分かったりするととってもとっても嬉しくなる。あの一瞬の時間だけじゃなくって、日常に戻った後にもあの空間でのことが何かのあたたかさになっていたらいいなと思う。みんなが日々を健やかに生きられますように。
わーくしょっぷ① どうぶつゲーム
▸はルール説明を参加者に読んでもらう、無言で行うことが特徴。部屋のなかにあるもの を動物に例え、それを手で表してみるというもの。ただ動物の形を模倣するジェスチャーではなく、物 のを特徴と動物の似ている部分をデフォルメして作ることが重要。
振り返り
予約者が1人もいなかったため実施せずにいたら、ふらっと来た方がわーくしょっぷ目当てで、20分後ぐらいに聞かれ慌てて準備した。ワーク自体は5回以上やったことがあり、練習もしていたため問題なかったのだが、予約必須ではなく推奨制にしたためやらなくてはならなかったと反省した。 やはりこのワークは子供とやると楽しいのだが(楽しいというか、1時間が溶けるように過ぎる)、大人とやるとある程度自分で解決してしまうので、新たな視点を提示することが難しい。大人、ダンサー向けのどうぶつゲームも考える必要がある。参加者の方は後日Instagramでも感想をくれたのでつまらなかったわけではなさそうで安心した。
わーくしょっぷ② うれしいかなしい
▸嬉しいという感情を3つに分け3つの合図を作り、話したくないときでも相手が心配しているからそのポーズだけみせればいいよね、というもの。。これをその ままやろうと思っていたのだが、この展示だけのワークにしたいと思い、ばう べう ぺぐ辞典を使ってワークをすることにした。ひみつの合図発生で私たちがどうやっているかを伝えてみた感じになった。
↓メみキューシュう
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↓ふっ
振り返り
これは全く時間が足らない。2時間は必要だった。予約が5名で当日参加が3名、メンバーが3名だったため、11名は多すぎた。 センシティブなテーマだからこそ誰か1人でも心を乱すとみんなが気を使いだし空気が沈む。ファシリテーターがその1人に寄り添いすぎても良くない。これは寄り添ってもらうよりも無視をするというか、無視ではなくてその感情も肯定(も否定も)するようにそのままの私で進めることが重要だと思う。ワークショップの参加者だけでなく、メンバーと話していく中でも分からないと言われることがある。そういう時お互いがもう嫌みたいな感情になってしまうと一気に関係が破綻する。分からないことが前提でそれをよしとする、その感情も楽に伝えられる関係を作るための手段と場所でありたい。
ぱふぉーまんす
▸あなたの思考が私になって、私の思考があなたになって。でもそれは同一ではなく、思考の同一化で分裂していく。
これまではハンドサインが自分の思考を表出させるための手段だった。そこからハンドサインが相手に伝わり変容し、自分に返ってくる。言葉で会話をする。それは肯定でも否定でもない。私の、あなたの一部となり変容していく。
↓ぱふぉーまんすの様子

↓ぱふぉーまんすの様子

10月に伝統芸能を学ぶプロジェクトで岩手に行ってきたんだけど、そこでアボリジニのルースさんっていう人に出会ったのね。毛皮のお洋服来て骨のピアスとかつけてて。それでルースさんのワークショップを受けたんだ。水のように話を聞くっていうワーク。2人組になって1人が3分ぐらい話し続けるの。話す内容はなんでもいいんだけど、今日は朝起きてパンを食べてみたいな浅い話じゃなくて、でも死にたいとか重い話でもなくて、人に話してもいいなって思える中間の話。それで、聞いている方は相槌をしてはいけないの。うんうんとか声はもちろん、頷くとか笑うとかもしない。ただお話を聞くだけ。終わ ったらお互いありがとうございましたって言って、そのあとも絶対に質問をしてはいけない。この聞き手の状態が水のように話を聞くということ。 最後の質問コーナーで、なんで質問しちゃいけないんですかっていうのが出たんだけど、相手に質問をするのは相手のためではなくて私が知りたいという欲求だから、話を聞いてもなにもレスポンスしない、水のように流すと言っていて、その瞬間から12月ぐらいまで引きずった。それってさぁ通常の会 話全部私のエゴになっちゃうじゃん。それめちゃくちゃ思うの。はじめましてで色々相手に質問するのって興味があるの全部私のためじゃん。でも聞かなかったらずっと1人じゃん。不登校の時相談したくないって思うじゃん。相手がどうしたのって聞いてくるのって私のためじゃなくってあなたのために聞いて るでしょって。でも聞かれなければ聞かれないでエゴのためにすらなれないみたいな。これがいやだったっていう記憶があるからこそ今の思考になっていくと思うんだよ。 自分の気持ち話しても反対意見出されて、それが怖いから話さないって。いやでもそれじゃあなにも進まないじゃんか。でも質問されないっていうのは興味を持ってくれすらしないってことで、分かってくれないから話さないと、興味がないから話さないは違うでしょ。柑橘系には色があるの方の稽古場でもっと役者として相手のこと感じてって言われて、おりがみおてがみのほうでそれやってみたらとんでもなかった。昨日相手がめっちゃ泣いてたのね。ほぼ私が泣かせたんだけど、あの時めっちゃルースさんの水思い出して。相手の悲しい気持ちを否定とか肯定とかじゃなくって、表出している状況の時、その状況が苦しくないように受け流すことなんだって。今日の公演でシンガーソングライターの人がね、東京の人は冷たいって思ってたけど話してみたら1人1人はあったかくて。東京は関わらなきゃいけない人が多いから拒絶されることも多くて、傷つかないように表出させるのを抑えているだけなんだって分かって、だから私の音楽で固まっていた心が動き出したり、表に出すきっかけになればいいなって言ってて。えーめっちゃすきってなった。 エゴの話が直接解決できたわけではないけど、私の中でなんか解決した気がしたんだ。